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舞台観劇感想、になったらいいな。

千秋楽と、親の死に目。

バタバタとしているうちに、年が明けてしまいました。
本当に好き勝手にしかつづっていませんが、今年もご覧いただけたらうれしく思います。年末に突如訪れた不幸のこともあり、新年のご挨拶は割愛させていただきます。

 

 

何やら不穏なタイトルですが、年末、我が身に降りかかったことをまとめてみました。ご興味のある方のみお付き合いください。

 

 

先だってのエントリーで舞台パタリロ!に湧いたブログをアップしていました。

が、一転。

 

楽しみにしていた千秋楽のチケットを千秋楽前日の夜、友人に託して。
私は仕事終わりに防寒装備も何もないまま、財布と携帯だけ握りしめて実家方面へ向かう最終に近い時間の新幹線に飛び乗っていました。(実家は寒冷地)

千秋楽の日は、実家の近くにある総合病院にいました。

 

 

その日、父を看取ったからです。

 

 

急逝とは、読んで字のごとく。
まったくもって、いっしゅんでした。

 

入院から亡くなるまでじつに1週間弱のできごとでした。
ちょうど1年くらい前に、ひどい内出血をきっかけに病院に行ったら内出血どころではない内臓疾患(ガンではないです)の罹患を指摘されました。
退院後は自宅療養中でした。嫌いな医者にも定期的に通い、数値は回復傾向にあったので私は安心して上京しました。

しかし年末に再び体調を崩して入院しましたが、還らぬ人となりました。

 

私もまだぎりぎり20代、父も60を超えたばかり。弟はまだ20代半ば。
母は存命ですが、父とは離縁しているので私と弟がやらねばならないことは山積みです。

自分でも整理したいのと、もし、どなたかが急に同じ立場に立った場合の参考に、少しでもなれば。その一心で書き記します。

 


日本の技術をもってしても、力及ばず亡くなってしまった場合。よくテレビとか映画は「おとうさぁぁぁあんん!!!!」と泣き崩れる御家族の姿などが良く描写されます。

その人の性格などにもよるとは思いますが、基本的にはそんな暇はないと思います。私はなかった。
もしくは、自分が取り乱しそうで、時間に若干の余裕があるようなら。
誰か兄弟親戚など信頼できるバックアップの方に近くにいていただけると心強いかも。

主治医が来て、形式的に確認します。「ご臨終です」の言葉はあるんだけど、割とすぐに看護師さんがやってきて「葬儀屋さんはお決まりですか」って。

「そんなもんなんだ」と。

 

我が家の場合は亡くなる10日前までは普通に元気で、年末に帰省する話などをしていたので、葬儀も、遺産も、遺言も、何もあるわけもなく。


移動中の新幹線の中や、病室に着いてから見守っている時間に、何をしたらいいかわからなかったというのも正直なところですが。

ちんやりしている弟を尻目に、私は妙に冷静であれこれ調べていたので、着々と準備を進めることができました。

私だって、ちんやりしたかったよ。泣いたりしたかったよ。だけど、できなかった。

東京に戻ってくるまでは「私がしっかりやらなきゃ」その一心で動いていたように思います。

だって、みんな私がしっかりしているって言うから。

 

一報を入れたときの父の兄弟も、離縁したとはいえ長らく親戚関係にあった母の親戚たちも、みんな「●●(父)さんの子だから、しっかりしてる。○○(私)に任せておけば大丈夫だ。」っていうんだよ。

そんなの、亡くなってまで父に恥をかかせるわけに行かないから、しっかりやるしかないじゃない。

 

しょーじき、そういう時、長女ってしんどい。

 

葬儀場の手配、予約などはネット社会って素晴らしい。ボタンと電話ひとつで予約してくれる企業がいくつかあります。
私はそこを利用しました。

ただ、お家によってはお母さんが地元の互助会(積み立てができるシステムがあるらしい)に参加していたりする場合もあるみたいなので、何かの拍子にご両親に確認が取れるならうっすら聞いてみていただくと楽だと思います。あと、可能ならお寺の付き合いとか宗派とか。
もしもの時の話、なんて話題にしにくいと思うけど。自分の置かれている環境を把握することは非常に重要なんだと思いました。


父は何もそういったものをかけていませんでしたが(最近分かりましたが生命保険すらかけていなかった…)、母が実は地元の互助会に加入していて、費用を抑えられたかもしれないと後から知りました。
もろもろが終わって落ち着いて話した時に、言われて初めて知りました。必死に段取りを踏んで、動いている私たちを見て母は口出しすまい、と思って黙っていてくれたみたいですが。

 

 あとはやっぱり、お金周りのこと。
こればかりは記憶が定かな間に把握できないとどうしようもない気がします。
万一の時、親の通帳はどこにあるか、印鑑は?生活費はどの口座から落ちている??もしかして、遺言書とか用意してたりする??などなど。

私の場合は看取る前にお見舞い(実は急変の連絡が入る前日に様子を見に帰っていました)に行ったとき。
父の意識はだいぶ朦朧としていたのですが突如お金周りの話をし始めました。また、小さいながらも会社を興していたので会社の関係のこと、ぽつぽつと話し始めたときがありました。父なりに悟ったからでしょうか。
その時に漏らすまいと、聞き取れる範囲で聞き取れたので、その父の言葉をもとに関係個所へ連絡が取れて、司法書士さんなどのパイプも繋げることができたので現在途方に暮れることなくスムーズに動けていると思います。

 

私たち子どもは日々自分の生活を送っていてエンジョイしていますので、家のことへ目が向かなくなってしまいます。私もそうです。でも、一度でいいから立ち止まって、家のことを把握しておくというのは大事だったんだな、と思います。
えらそうにいろいろ書いているけど、私は全く把握していませんでした。
(そうじゃなきゃ、今頃父親が生命保険をかけていなかったことを知って愕然としたりしていないと思う。我が家は父の代からの分家扱いなので…お墓どうするのさ…)


秤にかけることのできない価値観の部分にはなりますが、本当は連絡を受けた後も一旦家に戻って準備を整えてから、翌日始発の新幹線で向かおうと思っていました。

が、結果的に見れば始発の新幹線では間に合わない時間に息を引き取ったので、無理やりにでも帰郷してよかったと思います。

 

結婚もしない、孫の顔なんてまだまだ先、そんな風に思われたまま父は逝ってしまいましたので、せめて、看取れてよかった。

 

某舞台の台詞ではありませんが「親を、大切にしてやれ」とはまさしくその通りだと思います。

だって、後悔したときにその人はもう、いませんから。

 

 

医者から止められていた大好きなお酒を結局飲んでしまい、体調が悪化するという父らしい最期でした。
勝手ながら好きなことを我慢してまで喪に服すことはないのかな、などと解釈しています。ので、推し事はじめは通常運転。猫のひたいほどワイドの観覧からスタートさせました。(父は自分の親が亡くなった年に年賀状を出そうとしていたこともある)

 

今年も一年、がんばります。