推して参る

舞台観劇感想、になったらいいな。

理由を求めずに生きたい

理由って、なんなんでしょう。


少し前に界隈でざわついていた件で応援スタイルとか、色々と考える機会がありました。


私は推す理由とか降りる理由とか、考えてしまいます。好きに理由なんていらない、と思うんだけどね。
めんどくさいけどそういう性格らしい。相変わらず支離滅裂だけど、考えた事を綴ってみようと思います。


降りる理由、推しに注ぐ力を緩める理由。
飽きたから、相手が燃えてしまったから、経済的な理由や結婚。色々あると思います。


ひとつ、今の自分から出た答え。


満足したから。


これってアリなのかな。どうなんでしょう(笑)
でも、満足しちゃったんです。



先日、駆けはやぶさひと大和を観てきました。
いやー、泣いた。どんどんハンカチがしっとりしていった。
1度見た後、もふ虎をもう一度観たくてたまらなくなった。
(時間が取れなくてまだ見れていません…)

原作ものではなくてがっつりとハマった舞台はこのシリーズが初めてでした。
もふ虎の頃は空席が目立った客席がしっかりと埋まっていて。
(嘘みたいな話だけど、あのメンツを揃えて空席が多かったんだよ。いかに2.5じゃないと人が集まらないかわかった。毎回、リピチケまだあるよ!とかTwitterとかで宣伝して!ってカテコで言われるのしんどいね。)

言われた通り、当時は頑張って広報した記憶がある。感覚が先行して生きている人間の私には、そのくらいに感情を揺さぶる舞台でした。
アンケートも毎回書いたし、DVDも会場予約した。
功を奏したのか、続編をして頂けるようになって、推しさんの舞台初主演の作品がつむ鴨で。


幸せです。


そして最終章を見届けました。
イチおたくがこの作品を好きな以上に、推しもこの作品が好きで大切に思ってくれている事がひしひしと伝わってきて。


この人を推せて幸せだなぁ。求めるもの以上のものが帰ってきた。
客席でそんなふうに感じながら、見ていた。


ちょっとだけ、ちょっとだけだけど。
年が明けてから自分が勝手に求めていた推しさん像と本体がズレたと感じた。だから完全に降りようとしてた。
ズレていたのは私でしたー!ほんとにすみません。求めるって、何を求めてたんだ????と自問自答。

推しってなんだろう。
名前をGoogleで検索したら、顔写真と共にでてくる。そういうお仕事をしている人。
友達とか、知り合いじゃないんだよね。バカじゃん、私。
板の上にいる、カメラの前にいる、それがお仕事の人だ。



普段は顔がいい!とか、語彙力がないと纏めてざっくりとした言葉で表現しがちだった。
ごめんなさい。推しのお芝居にここまで泣かされるようになるとは思っていなかった。

さっき「もう一度もふ虎が観たくなった」というのは、推しの演じる斎藤一というフィルターを通して最終章まで見た後。
やっぱり劇中歌の「憧れの背中」がとても印象に残ったから。
たぶんつむ鴨で「あいつらに憧れてんだ」っていう斎藤のセリフがなければ、こうは思わなかったと思う。
それを経て見る最終章は辛くもあり、仲間の中にいる斎藤一を見れて嬉しくもあり。
言葉が繋がる作品って好き。やっぱり私はもののふシリーズが大好きです。



話を戻します。
おたくって自己満足だ、って常々思っていて。所詮私はミーハーだから、承認欲求を満たされたくておたくをしてたんだろうなぁ。
それが満足してしまったので、いわゆるガッツではなくなると思います………
(ガッツの線引きがいまいち分かってないですけど、全通じゃないとガッツじゃなかったらすみません(笑))


そんなこんなで、推しさんのほうは現場に行く回数が減ると思う。(推しくんの夏に控えているであろうお仕事は全力で臨みたい。)
という、理由づけ。

いちいちそんな宣言いらねぇよ、って感じですね(笑)